A.作りたいと思われるのなら、可能な限り早い時期に進めるべきです。
法事や記念日などの時期に合わせるという選択肢もありますが、調査から系図完成に至るまではある程度時間の余裕が必要です。
また、家系調査はお年寄りの記憶が頼りとなることが多く、取り組みが遅れれば、可能であったことが不可能になる場合もあります。
時を失えば二度と取り戻すことはできません。
A.系図作成の理由で代表的なものは、第一に先祖供養のため、第二に先祖の事跡を子孫に伝えるため、第三に自分の先祖がどのようになっているのか知りたい、第四に祖父母や両親などがやりかけた先祖調べの志を引き継いで、第五に祖父母や両親への贈り物として、などです。
A.一例を記します。
家系図を知ることはあなた自身を知ることにほかなりません。そもそも家を何代も継承することはそれほど易しいことではありません。漫然と過ごせば家も企業と同様に滅びます。今ここにあなたがいるということは、先祖が苦労と努力を積み重ね、激動の時代を生き抜いて来た証です。家系図と歴史年表を併せて見てください。戦争、疫病、飢饉、天災など、さまざまな障害を乗り越えて来たはずです。家系図は、我が家の歴史そのものであり、あなたにとってはかけがえのない価値があります。家系を調べ家の歴史を知れば、あなた自身がもっと誇りと自信を持てるようになるでしょう。
また、ご自分の子や孫に、「立派になれ」「勉強しろ」と叱るより、家系図を見せた方が効果的です。子や孫は家系図の末端に位置するので、それを見せることにより、先祖から自分が生まれ、やがて未来へ繋がって行くことを自ずと悟り、責任ある行動をとるようになります。自分勝手になりがちな核家族の弊害を補ってくれるのです。
さらに、系図を調べる際に、墓、仏壇、過去帳といった、日常触れることのない先祖の記録を、細かいところまですべて調べ上げます。これにより、古い墓石や位牌の主が明らかになり、図式化されるため、系図作成のプロセスは最高の先祖供養になります。先祖の故郷を知らない方は、その地を知り、お寺や疎遠になった親戚まで明らかになり、交流が再開する場合も少なくありません。親子兄弟との交流も円滑になり、感謝の声を寄せられることがあります。
A.地域性や程度の差はありますが、どのような家でも調べることができます。
農家の場合は、その土地に定着し移動していないので、むしろ調べやすいのです。
A.武士の場合、藩士系譜などの資料が残されている場合もあり、確かに調べやすい側面はありますが、系図を調べる必要があるのは下級武士の場合が多く、庶民と同じ程度と考えた方がいいでしょう。武士の場合はよく分限帳を調べなさいといわれますが、分限帳は一部の時代しか残されていない場合が多く、時系列で遡及できないので補足資料にしかなりません。
A.同一地方の同名であっても、無数に枝分かれている場合が多く、有名一族に繋がるかどうかは調べてみなければわかりません。門地にこだわるより調査結果を素直に受けとめ、今後の人生に役立てるべきです。家系図は自分の都合だけで作るものではなく、記録される先祖のことも考慮に入れる方がいいのです。また、家系図はあなたの次の世代では一人歩きをはじめます。その時、作った時の事情を説明できる人は誰もいません。できるだけ正しく作られていることが重要なのです。
A.落人伝説というのはよく聞く話ですが、源平合戦の時代は今から千年も昔の話です。系図は、先ずわかるところから遡って足跡をたどることが大事です。
例えば次のような事例があります。当家は現在千葉県の一都市にあり、先祖は同県中部の町出身と聞かされていました。しかし、戸籍を取得したところ、先祖は奈良県の山奥が出身とわかりました。その家を訪ねると源平合戦の落人との言い伝えがありましたが、よく調べてみると天正13年(1585)豊臣秀吉に攻められた紀州根来衆の一党が戦に敗れ、奈良県の山中に逃れ住んだことがわかりました。このように言い伝えは転化するもので、本件では源平合戦と根来寺の戦いが混同されていたのです。
A.一般には、過去帳の残っている時代までとなります。
家系調査に必要な資料の時代区分は、庶民の場合、およそ次の三段階に分けることができます。
1. 明治時代~現在
戸籍・除籍・原戸籍謄本を遡って取得すれば簡単にわかります。もっとも古い除籍謄本には、幕末頃生まれた先祖が記載されており、その場合、その家は江戸時代の期間その村にあったと考えられます。戸籍には続柄が記されていますので、読み取って紙面に展開すれば5~6代の正確な系図が誰にでも簡単に作れます。ただし、一部戦災などで焼失した地域があり、遡れない場合があります。
2. 江戸時代
この時代には寺請制度があり、民衆はすべてお寺の檀家となっていました。幕府は先祖供養を奨励し、お寺では宗門人別改帳という戸籍のような台帳を作成していました。これは今となっては、ほとんど失われてしまいましたが、過去帳・位牌・墓・家などは残されていることが多く、戒名・没年月日・俗名・続柄・家紋などを知ることができます。分家の場合は、本家、そのまた本家へと遡ります。これで享保時代(1716~1736)頃まで残されていれば良好ですが、元禄時代(1688~1704)頃まで遡れれば万全といえるでしょう。戒名には俗名や続柄は併記されていない場合が多く、戒名から男女の別や大人と子供の分類はできますので、年代を分析しいわゆるシミュレーションで系図を再現します。この時代の資料の収集、判読、分析は調査員の腕の見せ所であり、系図の骨格を決める重要な部分になります。もちろん古文書類が残されていれば利用し、地誌も調べます。
3. 江戸時代より昔
庶民に先祖供養が定着したのは元禄時代頃ですが、それ以前は豪族でもないかぎり墓も過去帳もありません。運良くその家や地域に系図が残されていれば、中世の系図と繋がり源平藤橘へと遡れる場合があります。具体的な系図が残されていなくとも、家の由緒がある程度わかる場合が少なくありません。苗字の分布、家紋、地名、人の移動、土地の支配関係など総合的に調べることになります。
A.業者によって呼び名が若干違いますが、これらは前項であげた「家系調査に必要な資料の時代区分」に起因しています。
1. 明治時代~現在
戸籍法は明治4年に制定されました。この時代は戸籍謄本類の収集さえすれば、家系図が明らかになりますので、「戸籍調査」「初級調査」などと称する場合がありますが、その実態は収集であり調査ではありません。遠方の役場でも郵送で交付申請すれば済みますので、現場へ出かける必要もありまあせん。しかし、古い除籍謄本はペンで書かれており、誤字、乱筆、汚損などで読めない部分もあります。良心的な業者であれば、地名辞典で旧地名を確認したり、電話帳でその地域特有の苗字の綴りを探したり、不明な点を補う努力を払うため、全く調査をしないわけではありません。また、明治時代以降でも、戸籍が作られる以前に亡くなった人は戸籍に載っていないので、過去帳などから補う場合があります。
2. 江戸時代
江戸時代の調査は戸籍を収集したうえ、先祖の出身地を訪ねる現地調査が必要となり、明治時代以降の戸籍収集のみによるものと全く違います。江戸時代の調査は、先祖の生没の記録を探しますが、寺請制度により戒名(法名)が残されているため、墓や位牌を中心に調べることになります。戒名が収集できれば文献など調べなくとも、系図の骨格が再現できるため、文献など歴史資料を総合的に調べる調査に比して、「中級調査」「B級調査」などという呼び方があるようです。
3. 江戸初期より昔
寺請制度により、庶民が墓や位牌などまつるようになったのは元禄時代ころといわれています。それ以前は、文献、古文書から系図や由緒書などを探します。資料も少なく、残されたわずかな手がかりを頼りに、先祖の歴史的位置付けを探すため、決まった手順で調べる江戸時代の調査と比して、「完全…」「永代…」「上級…」「A級…」などと呼ばれることがあります。
およそ上記のように分類されると思いますが、詳しいことはその調査名を称する発信元へ問い合わせてください。
天代家系譜では、現地調査といえば、上記 1~3を含めたものを称しています。一度現場へ出かけるからには、可能な限り資料を収集してくるのが家系調査の基本だからです。
A.位牌・過去帳・由緒書など古文書類が残されていれば、基本的には家系図を作ることができますが、そのまま作成できるかどうかは、資料を拝見してから判断することになります。