新府城跡〔国指定史跡〕 -山梨県韮崎市中田町-
2020 / 02 / 29 歴史コラム
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新府城(しんぷじょう)は、武田勝頼が天正9年(1581)に築いた城で、武田家滅亡に関わる悲劇の城として知られています。現在は公有地となっており、本丸跡には藤武稲荷神社、塚などが置かれ、昭和48年(1973)には国の史跡に指定されています。
新府城は、釜無川の東にそびえる「七里岩」の崖上の天険を利用した城で、南北600m、東西550m、外堀との標高差80mの平山城で、石垣は用いられていません。本丸の西に「蔀の構」を隔てて二の丸があり、本丸の東には稲荷曲輪、二の丸の北には横矢掛かりの防塁が設けられており、堀を巡らし、北方からの敵襲に備えて十字砲火を浴びせるための出構が築かれるなど、防御のためによく工夫された構えといわれています。
しかし、時すでに遅く、天正10年(1582)勝頼自ら城に火を放ち、郡内領岩殿城を目指して落ち延びましたが、その途中、笹子峠で小山田信茂の裏切りに遭い、天目山田野で最後を迎えることになりました。
地図-新府城跡
新府城跡 韮崎市観光協会
2020-02-20
新府城跡
長篠の戦いで失った諸将の小塚
本丸跡に建つ藤武稲荷神社
新府城跡の西には南アルプスの山々が迫る
撮影日:2019年10月10日