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岩櫃城跡〔国指定史跡〕 -群馬県吾妻郡東吾妻町-

岩櫃城跡〔国指定史跡〕 -群馬県吾妻郡東吾妻町-

岩櫃城(いわびつじょう)は、真田氏の居城として知られた城郭で、上州最大規模を誇り、吾妻百景を代表する景勝地 岩櫃山(標高803m)の東の山裾に築かれていました。
平成28年(2016)のNHK大河ドラマ「真田丸」で真田氏が注目を集めたため、古城ファンのみならず、観光客も訪れるようになっています。平沢登山口には無料駐車場、観光案内所が設けられており、中世の城郭としてはとても見学しやすい環境で、東吾妻町は観光にも力を入れているようです。
岩櫃城がはじめに築かれたのは南北朝のころと考えられており、城主としての初見は吾妻太郎行盛です。行盛は南朝方の里見氏に攻められ自害しましたが、行盛の子斉藤越前守憲行が、北朝方の上野守護上杉憲顕の支援でこの城を奪還し、斉藤氏は戦国期まで城主として東吾妻を支配しました。
永禄6年(1563)武田信玄は、上州侵略のため真田信隆に岩櫃城攻略を命じ、6代目斉藤越前守憲広はこれを迎え撃ち奮戦しましたが遂に落城し、幸隆が城主となりました。天正2年(1574)幸隆が亡くなると、長子信綱が継ぎますが、翌年の長篠の戦いで、信綱、昌輝兄弟がともに戦死し、三男の昌幸が継承することになりました。その後、昌幸の長男信幸が城主なりますが、天正18年(1590)北条氏が滅亡すると、信幸は沼田城主となったため、岩櫃城は沼田城の支城となり、出浦対馬守が城代として置かれました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの時、昌幸と信幸は東西に分かれますが、この時岩櫃城は昌幸の叔父矢沢頼綱が城代となり、信幸方の城となっています。江戸時代となり一国一城令で廃城となりました。
城跡には、今でも土塁、竪堀などの遺構が残されており、各所に案内板も設置されています。麓の観光案内所にパンフレットや城郭図などが準備されており、見学前にもらっておくとよいでしょう。峰続きに岩櫃山へ登ることもでき、登山コースとしても人気があります。城跡へは誰でも行けますが、登山道は鎖場を通過する危険個所もありますので、登山をする方は事前情報をご確認の上、経験者を伴い安全登山を心掛けましょう。

岩櫃城跡
岩櫃 東吾妻町観光協会
撮影日:2020年10月30日

岩櫃城跡
岩櫃城本丸跡標柱
岩櫃城跡
岩櫃城 竪堀
平沢登山口観光案内所
平沢登山口 観光案内所
岩櫃山
岩櫃山頂より中之条町方面
岩櫃山
吾妻百景を代表する岩櫃山 密岩神社より 岩櫃城跡は右手下方

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