尾去沢鉱山(近代化産業遺産) ‐秋田県鹿角市尾去沢字獅子澤沢‐
2024 / 07 / 20 歴史コラム
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尾去沢鉱山は、鉱脈型銅鉱床と呼ばれ脈状の銅鉱脈を採掘した鉱山でした。「史跡 尾去沢鉱山」では、これらの坑道、採掘跡を一般に公開した施設で、貴重な産業遺産が多く残されており、近世から近代にかけての日本の鉱業の変遷を見ることができます。
尾去沢鉱山の発見は、奈良時代の和銅元年(708)であると伝えられています。記録として残されているものは、南部藩士の私記「祐清私記」や「長坂見立始り」、「大森親山獅子大権現御伝記」など主には江戸時代に書き残されたものです。尾去沢地域には、東に西道、五十枚、南に赤沢、長坂、槙山、西に元山、田郡、北に崎山などの金山や銅山がありました。これらの鉱山は、それぞれの開発の年代も異なり、相互の結びつきもなく幕末まで別々の鉱山とされていました。
明治時代になると、鉱山は岩崎家(三菱)に鉱業権がわたり、以降閉山までの約90年の間、三菱の経営により銅山として最大のピークを迎えました。当時の日本は産業とのあらゆる面で近代化が進められたので、銅などの金属は産業近代化のうえできわめて重要な資源であり、その増産は国家的要請でもありました。また、終戦後、我が国の産業復興とともに資源少国における貴重な存在として高度成長をささえました。その後、海外での大規模鉱山開発が進み、世界的な過剰生産と急激な円高により銅価格が低迷したことや尾去沢鉱山の銅鉱石が枯渇したことにより、昭和53年1270年にわたる長い鉱山の歴史に幕を閉じました。
地図 ‐ 尾去沢鉱山
史跡 尾去沢鉱山
撮影日 2023年09月20日