太宰治記念館 「斜陽館」は、小説家太宰治の生家で、現在は五所川原市の観光名所となっています。太宰治の父 津島源右衛門の手で明治40年(1907)に建設され、ヒバを贅沢に使った入母屋作りの建物は、1階11室278坪、2階8室116坪、付属建物や庭園など合わせて約680坪の豪邸です。近代和風住宅の代表例として平成16年(2004)国の重要文化財に指定されました。
斎場御嶽(せーふぁーうたき)は沖縄県南城市知念にある史跡で、15-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽で、政府が整備した国家的な宗教組織との関連が深い琉球王国最高の聖地です。 稲村城は、天文3年(1534)里見家の内乱によって里見義豊が滅ぼされるまでの、前期里見氏の居城でした。標高64mほどの丘陵地帯に築かれた城は、東西2km、南北1.5kmに及ぶ大規模なもので、安房国の統治を見据えたものでした。城は城山といわれる主郭部と南に続く舌状丘陵地で構成され、天然の良港館山湾を西に望み、安房国随一の穀倉地帯館山平野を見下ろすの場所に配し、上總進出の足掛かりの地として位置づけられました。ところが「天文の内乱」で嫡流の義豊は破れ、勝利を治めた庶流の義堯が家督を奪い、本城を… 春日大社(かすがたいしゃ)は、奈良公園内にある神社で、春日山原生林(国の特別天然記念物)を背景に御蓋山(春日山)の麓に建立されています。全国に約1000社ある春日神社の総本社で、世界遺産「古都奈良の文化財」に登録されています。神護景雲2年(768)、称徳天皇の勅命により、平城京の守護と国民の繁栄を祈願する為に創建され、藤原氏の氏神でもあります。主祭神は、向かって右から、武甕槌命(第一殿)、経津主命(第二殿)、天児屋根命(第三殿)、比売神(第四殿)で、本殿(国宝)として整備されました。古来… 岐阜県と富山県の県境付近の山あいを流れる庄川のわずかな河岸段丘にある菅沼集落には、現在9戸の合掌造り家屋が残っています。合掌造りは、日本有数の豪雪地帯という厳しい自然環境に耐える住まいであり、養蚕や塩硝作りという仕事の場として、頑強な構造で合理的な家屋が発達しました。日本の原風景ともいうべき山村の景観も含めて、ありままの自然に抱かれた合掌造り家屋と、のどかで閑静な環境を今に残しています。同村の相倉合掌造り集落とともに、昭和45年(1970)に国の史跡指定を受け、平成6年(1994)に重要… 払田柵跡(ほったのさくあと)は、古代城柵官衙(じょうさくかんが)遺跡で、平安時代の初めころ(約1,200年前)、律令国家がこの地方の統一を進めるために造った、政治的・軍事的拠点で、また儀式の場としての役割を持っていたと考えられています。外柵(がいさく)と呼ばれる、角材(高さ3.6m、縦・横30cm)を並べた材木塀は総延長約3.6km、遺跡の総面積は約87.8haにもなる広大な遺跡です。創建に使われた角材は、年輪の研究から延暦20年(801)ころの伐採と判明し、この遺跡はほぼその頃に創建さ… 「石見銀山(いわみぎんざん)遺跡とその文化的景観」は、平成19年世界文化遺産に登録されました。世界遺産は14の資産で構成され、「銀鉱山跡と鉱山町」(銀山柵内や大森町など)、「街道」(温泉津沖泊道・鞆ヶ浦道)、「港と港町」(鞆ヶ浦・沖泊・温泉津)の3つの分野に分類されています。戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた銀山は、世界の銀の約3分の1を産出したとも推定され、採掘・製錬の鉱山跡、外敵から守る城跡、物資を輸送した街道、港町、銀山に隣接して発展した大森町など、遺跡の保存状態も… 尾去沢鉱山は、鉱脈型銅鉱床と呼ばれ脈状の銅鉱脈を採掘した鉱山でした。「史跡 尾去沢鉱山」では、これらの坑道、採掘跡を一般に公開した施設で、貴重な産業遺産が多く残されており、近世から近代にかけての日本の鉱業の変遷を見ることができます。 米沢藩主上杉家廟所(うえすぎけびょうしょ)は、米沢藩上杉家歴代の墓所です。杉木立の中に上杉謙信から十二代藩主までの廟屋が立ち並んでおり、荘厳な雰囲気に包まれます。市民からは、墓所を御廟、廟所、御廟所、御霊屋(おたまや)と呼ばれ、敬い親しまれています。慶長6年(1601)上杉家は越後から米沢に移封され、二代景勝が逝去した後、上杉家歴代藩主の墓所と定まりました。その後、景勝を中心に左右交互に廟が建てられ、廟の前方には拝殿が造営されていました。また、各廟の参道も今より前方に延びており、その周囲… 隠岐国分寺跡は、隠岐に流された後醍醐天皇の行在所と伝えられています。現在この地にある隠岐国分寺(東寺真言宗)の後方に礎石があり、これが明治の廃仏毀釈前の本堂跡です。境内からは奈良時代の瓦が見つかっていますが、創建時の様子は分かっていません。毎年4月には重要無形民俗文化財の蓮華会舞がおこなわれます。現国分寺の境内は、昭和9年(1934)に遺跡の包含地として国の史跡に指定された。平成19年(2007)に本堂が火災により焼失しましたが、再建に伴い平成21年度(2009)から実施された発掘調査に…
御嶽(うたき)とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称です。斎場御嶽(せーふぁうたき)は琉球開闢(りゅうきゅうかいびゃく)伝説にもあらわれる、琉球王国最高の聖地です。巨岩や聖樹に囲まれた空間には、首里城内にある部屋名と同じ名前の拝所があり、当時の王府と斎場御嶽の関わりの深さをみることができます。琉球最高…
尾去沢鉱山の発見は、奈良時代の和銅元年(708)であると伝えられています。記録として残されているものは、南部藩士の私記「祐清私記」や「長坂見立始り」、「大森親山獅子大権現御伝記」など主には江戸時代に書き残されたものです。尾去沢地域には、東に西道、五十枚…