安土城は、織田信長が天正4年(1576)標高199mの安土山に築城させた平山城です。天下統一を目指す信長は、岐阜城よりも京に近く、北陸・東海の要衝にこの城を建てました。総普請奉行は丹羽長秀、当時は琵琶湖の内湖に囲まれ、南方だけが開けている地形でした。我が国で初めて天守を持つ城は天正7年(1579)に完成し、その姿は絢爛豪華で信長の権威を知らしめるものでした。しかし、僅か3年後の天正10年(1582)6月2日、本能寺の変で信長が自刃すると、混乱の中6月15日には城の天守、本丸を焼失しました。…
妻籠宿(つまごじゅく)は、中山道中山道六十九次中四十二番目の宿場です。馬籠峠の北側に位置し、峠の南側の馬籠宿と馬籠宿(岐阜県中津川市)木曽路を代表する観光名所となっています。昭和51年(1976)に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された町並みは、自然や街道とともに、山深い木曽谷の中の集落として宿場の景観が保存されています。木曽における中山道の宿駅創設の事業は、徳川幕府の代官頭大久保長安等、およびその命を受けた木曽代官山村良候によって、慶長6年(1601)の早い時期から進められました。近…
猿島は、東京湾最大の自然島です。東京湾の湾口に位置しており、幕末から第二次世界大戦前にかけては、東京湾を守る要害として、砲台や弾薬庫が築かれました。レンガ造りの建造物の内、明治初期のものはフランス積みが見られますが、この積み方は現在日本では数例しか残されていない貴重なものです。一般人の立ち入りが禁止されていた猿島ですが、第二次世界大戦後一般人に入島が許可された後も、大きく開発されることがなかったため、豊かな自然と旧日本軍の歴史的建造物が良好な状態で残されることになり、国の史跡・日本遺産に指…
旧新橋停車場は、明治5年(1872)日本最初の鉄道が新橋~横浜間に開業した際、東京の玄関口となった停車場です。現在、かつて駅舎があった位置に、当時の外観を再現した「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」が建てられ、無料で遺構や出土品、鉄道に関する企画展を楽しめる施設となっています。
駅舎はアメリカ人R・P・ブリジェンスによる設計で、当時としてはまだ珍しい西洋建築でした。明治時代は東京のターミナル駅として機能していましたが、大正3年(1914)東京駅開業後は貨物専用の汐留駅として使用されてきま…
菅谷館跡は、国指定史跡 比企城館跡群(菅谷館跡・杉山城跡・小倉城跡・松山城跡)の中核を占める遺跡で、鎌倉時代の武士 畠山重忠の居館と伝えられます。埼玉県立嵐山史跡の博物館が併設されており、この地方の中世史を学ぶことが出来ます。
畠山重忠は、長寛2年(1164) 武蔵国男衾郡畠山郷(深谷市)の地に生まれたといわれています。宇治川の合戦、奥州攻めなどで戦功があり、鎌倉の有力御家人で、鎌倉幕府創業に功績がありました。元久2年(1205) 北条氏の策略により二俣川(神奈川県横浜市旭区)で…
新井城址は神奈川県三浦市にある城跡で、相模三浦氏の居城でした。小網代湾と油壺湾に挟まれた岬状の台地で、岬の先端は現在油壷マリンパークとなっており、過去に凄惨な籠城戦があった城跡だったことは想像することもできません。
三浦氏は相模国三浦郡を本拠地とする武士団で、古くから源氏との結びつきが強く、鎌倉幕府では有力御家人でしたが、その勢力が執権北条家を凌ぐほどになったため、宝治元年(1247)の宝治合戦で北条氏と安達景盛らによって滅ぼされました。その後、傍流の三浦盛時(佐原氏)により再興…
永福寺(ようふくじ)は、源頼朝が文治5年(1189)に奥州合戦の後、戦いで亡くなった数万の将兵の鎮魂のために建てたれた寺院で、平泉の毛越寺や中尊寺を参考にしたとされています。頼朝が征夷大将軍に任命された建久3年(1192)二階堂が完成し、この堂の名は現在の地名ともなっています。建久5年(1194)までに、阿弥陀堂、薬師堂が完成し、この三つの堂を中心に、惣門、南門、釣殿、多宝塔、鐘楼、僧坊などの建物があったとされ、「その姿形は極楽の様子をそのまま表したようだ」と形容されています。二階堂の本…
林芙美子記念館は、「放浪記」「浮雲」などの代表作で知られる作家・林芙美子が、晩年に住んでいた家です。
芙美子は山口県下関生まれといわれ、家庭環境は複雑で、九州を転々としながら幼少期を育ち、大正5年(1916)に広島県尾道市に移り、女学校を卒業しました。大正11年(1922)に上京した芙美子は、様々な職業を経験し、男性遍歴も多く、作品を雑誌・出版社に売り込んで回りました。昭和元年(1926)、手塚緑敏と内縁となり、昭和3年(1928)から小説「放浪記」を連載し好評を得ました。昭和5…
松本城は、現存する五重六階の天守の中で日本最古で天守は国宝に指定されています。黒を基調とした引き締まった姿は、背景の北アルプスの山々によく映え、見事な景観を見ることが出来ます。
松本城は、永正年間(1504-1520)信濃守護小笠原氏が林城を築城し、その周りを取り囲むように支城が構えられ、その一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれています。
その後甲斐の武田信玄に小笠原長時が放逐され、信濃支配の拠点としましたが、 天正10年(1582)本能寺の変の混乱に乗じて、…