清水寺(きよみずでら)は、北法相宗の大本山の寺院で、山号は音羽山、寺の建つ地が音羽山です。開創は宝亀9年(778)、平安京が開かれる以前から創建された歴史ある寺院の一つです。音羽山の断崖に建つ清水寺の本堂は、寛永10年(1633)徳川家光の寄進により再建された木造建築で、本尊の千手観音菩薩をお祀りしています。大きな慈悲を象徴する観音さまの霊場として、古くから庶民に開かれ幅広い層から親しまれ、古い史書や文学のなかには、多くの人々が清水寺参詣を楽しむ様子が描かれています。境内には、国宝と重要…
奈良井宿は、中山道六十九次の中で、東海道と共有する草津・大津宿を除いた板橋から守山まで中山道六十七宿中、どちらから数えても34番目に位置する丁度真ん中の宿場町です。木曽十一宿の中では最も標高が高く、難所の鳥居峠を控え、多くの旅人で栄えた宿場町は「奈良井千軒」と謳われました。町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、往時の面影を色濃く残しており、観光名所としても知られます。
本州の最北の地、下北半島にある恐山には、日本三大霊場の一つ「恐山菩提寺」があります。本坊はむつ市田名部にある円通寺で曹洞宗の寺院です。恐山は今からおよそ1200年前、天台宗の慈覚大師円仁によって開かれました。地蔵菩薩を自ら彫り本尊としたと伝えられます。火山ガスが噴出するこの一帯は、岩肌が露出し独自の景観を作り出し地獄に、一方、宇曽利山湖と白い砂浜は極楽になぞらえられ、天国と地獄の境目を表す祈りの場となっているそうです。恐山は死者の集まる山とされ、恐山大祭では、イタコの口寄せが行われることで… 横須賀は、幕末から日本海軍の軍港として発展してきました。横須賀本港と長浦港は、米海軍と海上自衛隊が利用しており、多くの艦船を間近に見ることができます。どんな船が停泊しているかはお楽しみです。運が良ければ、米原子力航空母艦が見られるかもしれません。海風をうけながら軍港をめぐるのは、ことのほか気持ちが良いものです。望遠レンズを付けたカメラを構える軍艦ファンも乗船していることでしょう。軍港巡りの後はどぶ板通りでハンバーガーや海軍カレーを楽しめます。
角館は元和元年(1620) 角館地方を領していた芦名義勝によって造られました。その後は秋田藩主佐竹氏の一族 佐竹北家に受け継がれ、現在でも当時の地割が踏襲され、武家屋敷等多くの建造物が残されて、「みちのくの小京都」とも呼ばれています。武家屋敷が立ち並ぶ通りは、「内町(うちまち)」と呼ばれ、母屋・門・蔵の屋敷構え、枡形など武家町の特性がよく残されています。武家屋敷には桜の木が多く、桜の名所としても知られています。
駒止湿原(こまどしつげん)は、福島県南会津地方にある高層湿原で国の天然記念物に指定されています。高山植物が自生しており、散策用の木道が整備されています。4月下旬のミズバショウに始まり、コバイケイソウ、ワタスゲ、ニッコウキスゲ、ハクサンシャクナゲなど、春から秋にかけて様々な花が咲き、四季折々訪れる人々を魅了します。駐車場からすぐ湿原に入れるので、足に自信がない方でも散策することが出来ます。
英勝寺は、浄土宗の寺院で山号は東光山、水戸徳川家が創建した鎌倉唯一の尼寺です。開基は徳川家康の側室であったお勝の方(後の英勝院)で、寺域は扇谷上杉家の家宰だった太田道灌の館跡といわれています。英勝院は太田道灌四代孫太田康資の娘で、道灌所縁のこの地を徳川家光より賜り、菩提所として建立しました。仏殿、山門、祠堂、唐門(祠堂門)、鐘楼などは、創建当時のまま残されています。横須賀線の線路を跨いだ東側には、道灌の主家扇ガ谷上杉管領屋敷跡の碑があります。
掛川は東海道の重要拠点であり、室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、朝比奈氏に命じて築城させました。戦国時代には、山内一豊が城主となり、天守閣、大手門を建て、城郭を大規模に修築し、更に城下町の整備、大井川の治水工事なども行いました。一豊が土佐に転封された後、譜代大名が城主となりましたが、城主は度々変わり、最終的に城主となったのが、太田道灌の子孫といわれる太田資宗で、太田氏の治世は幕末まで存続しました。 山高神代桜(やまたかじんだいさくら)は、武川町の実相寺境内にあるエドヒガンザクラで、福島県の三春滝桜・ 岐阜県の淡墨桜と並ぶ日本三大桜の一つです。大正時代に国指定天然記念物第1号となり、平成2年には「新日本名木百選」にも選定されています。推定樹齢1,800年とも2,000年とも言われ、樹高10.3m、根元・幹周り11.8mあり、日本で最古・最大級の巨木です。伝説では、ヤマトタケルノミコトが東征の折に植えたと言われ、名前の由来になっています。また、鎌倉時代に日蓮聖人がこの地を訪れた際、桜の衰… 防府天満宮(ほうふてんまんぐう)は、学問の神様として有名な菅原道真を祀る神社で、創建は延喜4年(904)といわれています。天神社は全国に約1万2千社ありますが、最初に創建されたが防府天満宮で、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに日本三天神のひとつに数えられています。
一豊の建てた三層四階の天守は慶長9年(1604)の地震で倒壊し、元和…
菅原道真は宇多天皇の信任が厚く右大臣に任じられましたが、時の権力者である左大臣藤原時平の陰謀により大宰府に左遷されました。大宰府へ向かう途中、周防国の国府が置かれたほ防府寄港し、しばしの休息を取られた道真公は「こ…