通称軍艦島の名で呼ばれる端島は、長崎港の18Km沖合の海底炭鉱の島で、明治から昭和49年の閉山まで炭鉱の島として栄えました。もともと小さな岩礁でしかなかった端島は、度々の埋め立てで拡張し、南北約480m、東西約160m、周囲約1,200m、面積約65,000㎡となり、周囲は岸壁で囲まれました。当時としては珍しい高層鉄筋アパート、学校、病院、映画館など、生活に必要な諸施設が建ちならび、その外観が軍艦「土佐」に似ていたことから「軍艦島」呼ばれるようになりました。平成27年(2015)「明治日…
日本家系図学会誌「姓氏と家系」第30号が、令和5年11月30日発行されました。
姓氏と家系 令和5年-2 第30号(会誌通巻第118号)
<目次>
・陸奥の石城国造と岩城氏一族(下) ‥ 宝賀寿男
・中田憲信関係系図に関する小考
―史料発見と華族関係系図を中心― ‥ 松永昂大
・古代における鰻(アワビ)と玉作部について
―特に佐渡鰻と長門鰻に着目して― ‥ 齊藤秀幸
・南部(大浦)光信の津軽入部時の従士に関す…
清水寺は、京都の代表的寺院で、日本人なら知らない人がいないほど有名です。早朝から修学旅行や外国人観光客など、多くの人々が訪れていますした。京都市街を見下ろす本堂舞台は何度眺めても見事です。詳しくはこちら…
清水寺(きよみずでら)は、北法相宗の大本山の寺院で、山号は音羽山、寺の建つ地が音羽山です。開創は宝亀9年(778)、平安京が開かれる以前から創建された歴史ある寺院の一つです。音羽山の断崖に建つ清水寺の本堂は、寛永10年(1633)徳川家光の寄進により再建された木造建築で、本尊の千手観音菩薩をお祀りしています。大きな慈悲を象徴する観音さまの霊場として、古くから庶民に開かれ幅広い層から親しまれ、古い史書や文学のなかには、多くの人々が清水寺参詣を楽しむ様子が描かれています。境内には、国宝と重要…
奈良井宿は塩尻市、木曽の中山道の宿の中でも北に位置します。当時の雰囲気が色濃く残され観光名所ともなっていて、いつも観光客で賑わっています。詳しくはこちら…
奈良井宿は、中山道六十九次の中で、東海道と共有する草津・大津宿を除いた板橋から守山まで中山道六十七宿中、どちらから数えても34番目に位置する丁度真ん中の宿場町です。木曽十一宿の中では最も標高が高く、難所の鳥居峠を控え、多くの旅人で栄えた宿場町は「奈良井千軒」と謳われました。町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、往時の面影を色濃く残しており、観光名所としても知られます。
本州の最北の地、下北半島にある恐山には、日本三大霊場の一つ「恐山菩提寺」があります。本坊はむつ市田名部にある円通寺で曹洞宗の寺院です。恐山は今からおよそ1200年前、天台宗の慈覚大師円仁によって開かれました。地蔵菩薩を自ら彫り本尊としたと伝えられます。火山ガスが噴出するこの一帯は、岩肌が露出し独自の景観を作り出し地獄に、一方、宇曽利山湖と白い砂浜は極楽になぞらえられ、天国と地獄の境目を表す祈りの場となっているそうです。恐山は死者の集まる山とされ、恐山大祭では、イタコの口寄せが行われることで…