お知らせ

  • 2024.4.20 お知らせ 歴史コラム「記・歴史の窓」 令和6年4月更新

    つつじで有名な館林市のつつじが岡公園は、4月から5月のゴールデンウィークの頃が見ごろでしたが、近年は温暖化の影響で少し時期が早まっているようです。行かれる方は見ごろを確認してから出かけてください。詳しくはこちら

  • 2024.4.20 歴史コラム 躑躅ヶ岡(名勝) ‐群馬県館林市‐

    館林市のつつじが岡公園のあたりは、古代より野生のヤマツツジが群生する地で、江戸時代中期の絵図などには既に「躑躅ヶ崎(つつじがさき)」の名で記載されています。自生していたヤマツツジに加え、歴代の館林城主は各地よりツツジを移植し園の拡張や整備を行いました。主なもので、寛永4年(1627) 松平(榊原)忠次(ただつぐ)は、当時領内だった新田郡武蔵島村(現群馬県太田市)から、新田義貞の妻 勾当之内侍(こうとうのないし)のために植えたと伝えられるツツジを数百株を移植しました。また、寛文年間(166…

  • 2024.4.19 お知らせ 出張外出予定

    業務の性格上、出張外出が多くなっております。御用の方は、下記の時期を避け、電話または電子メールで、予定をご確認の上お越しください。外出中は、電話は全て携帯電話に転送されますが、航空機内、自動車運転中、図書館内など、すぐに応答できない場合がございます。その際は、留守番電話サービスにつながりますが、後ほどかけなおしますので、お名前とお電話番号をはっきりとご伝言ください。

    ● 令和6年05月27日(月)-28日(火) 中国地方

  • 2024.3.20 お知らせ 歴史コラム「記・歴史の窓」 令和6年3月更新

    沖縄屈指の名城で世界遺産に指定されている今帰仁城跡は、本州の城と違い、自然石で積まれた石垣が地形に沿って曲線を描く姿が美しく特徴的です。しかし島津の軍事力に圧倒され落城したのでしょう。詳しくはこちら…

  • 2024.3.20 歴史コラム 今帰仁城跡(世界遺産・史跡) ‐沖縄県国頭郡今帰仁村‐

    今帰仁城(なきじんじょう)は、琉球が中山に統一される前の「三山鼎立時代」には山北(北山)王の居城でした。中山が三山を統一した後には、琉球王府から派遣された監守という役人の居城でした。しかし1609年薩摩軍による琉球侵攻で、城は炎上したとされています。監守が住まなくなって以後は拝所とし、精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れています。城は、外郭を含めると7つの郭からなり、その面積は首里城とほぼ同規模で、城を囲む石垣は地形を巧みに利用し、曲線を描いた城壁のディテールは美しく、沖縄屈指の名…

  • 2024.2.20 お知らせ 歴史コラム「記・歴史の窓」 令和6年2月更新

    軽井沢でも、追分宿まで来れば静かなたたずまいでゆっくり過ごせるため、この辺りまで足を延ばす観光客もいるようです。お蕎麦が美味しいのも魅力です。分去れの碑から中山道は小田井宿へ、北國街道は小諸宿へと向かって行きます。詳しくはこちら

  • 2024.2.20 歴史コラム 中山道 追分宿 ‐長野県北佐久郡軽井沢町追分‐

    上野と信濃の国境、碓氷峠の西に位置する浅間三宿は、中山道を行く旅人たちにとって重要な宿場町でした。東から軽井沢宿、沓掛宿、追分宿で追分宿で北国街道と中山道が分岐していました。軽井沢は、明治時代に入ると別荘地として有名になりましたが、開発に伴い当時の宿場町の痕跡は消え去り、僅かに残された遺物から当時の面影をしのぶ程度になっています。追分宿は中山道と北国街道との分かれ道で交通の要衝でもあり、旅籠も茶屋も多く、三宿の中でも大いに賑わった場所でした。旧街道には分去れの碑、一里塚、高札場跡、石仏な…

  • 2024.1.20 お知らせ 歴史コラム「記・歴史の窓」 令和6年1月更新

    出島の周辺は、今では埋め立てられて陸地になっていますが、築造当時は扇形の島でした。19世紀初頭の姿へ復元整備が進みつつあります。観光客や修学旅行など多くの人で賑わっていました。詳しくはこちら…

  • 2024.1.20 歴史コラム 出島和蘭商館跡(国指定史跡) ‐長崎県長崎市出島町‐

    日本が鎖国していた時代、長崎が海外に開かれた唯一の場所でした。出島は寛永13年(1636)に築造され、安政6年(1859)にオランダ商館が閉鎖される218年間に渡り、西欧に開かれた窓口として、日本の近代化に大きな役割を果たしました。築造当時は岬の先端に扇形に築かれた人工島でしたが、明治時代以降長崎港の埋め立て等、改修・改良工事が度々実施され、出島の当時の姿は失われてしまいました。大正11年(1922)、高島秋帆旧宅、シーボルト宅跡、平戸和蘭商館跡とともに、長崎県で初めて国の史跡に登録され…

  • 2023.12.20 お知らせ 歴史コラム「記・歴史の窓」 令和5年12月更新

    軍艦島は、絶海に浮かぶ独特な景観ですが、当時は最先端の設備を誇る炭鉱の島でした。石炭は良質で高値で売られたといわれています。近代日本の産業を支えた島も、今では廃墟となっていますが、現在の建築技術では保存は難しく、この姿をいつまで見ることができるのかわからないようです。
    詳しくはこちら…

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