お知らせ

  • 2026.8.20 お知らせ 歴史コラム「記・歴史の窓」 令和8年8月更

    一之江名主屋敷は、東京23区内では非常によく保存された古民家です。屋敷林に囲まれた敷地全体から当時の生活を偲ぶことができます。
    詳しくはこちら…

  • 2026.8.20 歴史コラム 一之江名主屋敷(東京都・江戸川区史跡) – 東京都江戸川……

    一之江名主屋敷は、一之江新田の名主を務めた田島家の住居でした。長屋門や堀をめぐらし、蔵や屋敷林が残されるなど、中世の武家屋敷を思わせる構えで、江戸時代の名主の住まいの様子がよく保存された古民家です。
    田島家はもともと武士で、豊臣家臣の家系とされ、元は堀田姓を称していたと伝えられています。関ヶ原の戦いなどを経て、この地域へ移り住んだとされています。
    平成23年(2011)に田島家から江戸川区に寄贈され、その後、敷地や展示棟が整備されて一般公開されています。

  • 2026.8.5 お知らせ 出張および外出の予定

    業務の性格上、出張外出が多くなっております。御用の方は、下記の時期を避け、電話または電子メールで、予定をご確認の上お越しください。外出中は、電話は全て携帯電話に転送されますが、航空機内、自動車運転中、図書館内など、すぐに応答できない場合がございます。その際は、留守番電話サービスにつながりますが、後ほどかけなおしますので、お名前とお電話番号をはっきりとご伝言ください。

    ● 令和8年08月25日(火)-27日(木) 埼玉県内

  • 2026.7.20 お知らせ 歴史コラム「記・歴史の窓」 令和8年7月更新

    上田駅から北へ10分ほど歩くと、旧北国街道・柳町があります。上田宿の面影を残す風情のある街並みは、上田宿の時代はかなり栄えていたようですが、今は訪れる人を静かに迎えてくれます。詳しくはこちら…

  • 2026.7.20 歴史コラム 北国街道柳町(上田宿) – 長野県上田市中央

    旧北国街道(ほっこくかいどう)・柳町は、長野県上田市に残る上田宿の歴史ある町並みです。白い土塀や格子戸の町家、杉玉を掲げた造り酒屋、古道具店などが軒を連ね、江戸時代の宿場町の風情を今に伝えています。かつてこの通りには柳の木が多く植えられていたことから「柳町」と呼ばれ、旅籠や商家が立ち並び、最盛期には呉服屋だけでも25軒あったと伝えられています。
    上田宿は、天正11年(1583)に真田昌幸が上田城を築城したことを契機に城下町として発展しました。現在の上田市街地の原型は、この真田氏の時…

  • 2026.6.20 お知らせ 歴史コラム「記・歴史の窓」 令和8年6月更新

    城輪柵跡が発見されたのは昭和6年のことですが、かなり大規模な遺跡です。出羽国府ではないかとみられていますが、鳥海山を見上げる風光明媚な地に設けられています。詳しくはこちら…

  • 2026.6.20 歴史コラム 城輪柵跡(国指定史跡)– 山形県酒田市城輪嘉平田

    城輪柵跡(きのわさくあと)は、平安時代の出羽国の国府跡と推定されている遺跡です。昭和6年に発見されたこの遺跡は、一辺約720メートルの方形をなし、総面積約52ヘクタールを誇る東北地方有数の大規模遺跡です。現在は、政庁南門や東門、築地塀の一部が復元され、周辺は歴史公園として整備されており、古代の出羽国の姿を今に伝えています。

    2026.5.28 お知らせ 日本家系図学会誌「姓氏と家系 第35号」発行

    日本家系図学会誌「姓氏と家系」令和8年-1 第35号(会誌通巻第123号)が発行されます。
    発行日 令和8年6月1日

    <目次>
    ・甲斐武田氏と安芸武田氏の関係とその庶流の系譜 ‥ 真野信治
    ・大和の筒井氏と乾党諸氏(下)‥ 宝賀寿男
    ・南部(大浦)光信の津軽入部時の従士に関する検討(6)
     ~津軽為信の出自検討および下久慈の検討も併せて~ ‥ 岩城大介
    ・信濃赤木氏の西遷と神林氏・三村氏 ‥ 宮下玄覇・宝賀 寿男
    ・コラム 旅…

  • 2026.5.20 お知らせ 歴史コラム「記・歴史の窓」 令和8年5月更新

    安曇郡は古くから仁科氏が支配した地域ですが、その支流といわれる真々部氏の館跡が、乗護山金龍寺周辺に残されています。ここには、武田信玄による信濃攻略のための軍道「武田の侔道」も開かれ交通の要衝となっていました。詳しくはこちら…

  • 2026.5.20 歴史コラム 真々部氏館(安曇野市指定史跡) – 長野県安曇野市豊科高……

    真々部氏館(ままべしやかた)は、信濃国安曇郡の豪族仁科氏の庶流・真々部氏の居館で、真々部氏の菩提寺 乗護山金龍寺(臨済宗)一帯に築かれていました。本堂裏手が本丸、輪郭式に寺の境内と墓地が二の曲輪で、大手が西向きに開かれていました。戦国時代に武田氏が安曇郡に入るための交通の要衝に構築した館で、天文年間(1550年代)武田信玄が、松本から真々部を経由し大町方面を結ぶ、「武田の侔道」が設けられました。

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