歴史コラム

  • 2023.8.20 歴史コラム YOKOSUKA軍港めぐり  -神奈川県横須賀市本町-

    横須賀は、幕末から日本海軍の軍港として発展してきました。横須賀本港と長浦港は、米海軍と海上自衛隊が利用しており、多くの艦船を間近に見ることができます。どんな船が停泊しているかはお楽しみです。運が良ければ、米原子力航空母艦が見られるかもしれません。海風をうけながら軍港をめぐるのは、ことのほか気持ちが良いものです。望遠レンズを付けたカメラを構える軍艦ファンも乗船していることでしょう。軍港巡りの後はどぶ板通りでハンバーガーや海軍カレーを楽しめます。

    2023.7.19 歴史コラム 角館 武家屋敷(重要伝統的建造物保存地区) -秋田県仙北……

    角館は元和元年(1620) 角館地方を領していた芦名義勝によって造られました。その後は秋田藩主佐竹氏の一族 佐竹北家に受け継がれ、現在でも当時の地割が踏襲され、武家屋敷等多くの建造物が残されて、「みちのくの小京都」とも呼ばれています。武家屋敷が立ち並ぶ通りは、「内町(うちまち)」と呼ばれ、母屋・門・蔵の屋敷構え、枡形など武家町の特性がよく残されています。武家屋敷には桜の木が多く、桜の名所としても知られています。

    2023.7.19 お知らせ 歴史コラム「記・歴史の窓」 令和5年7月更新

    角館 武家屋敷通りは、桜の名所として有名ですが、梅雨時の深い緑色も美しく味わいがあります。落葉広葉樹が多く、紅葉も見事でしょう。藩政時代当時を味わうことのできるよい街並みです。詳しくはこちら…

  • 2023.7.2 お知らせ 姓氏と家系29-日本家系図学会

    日本家系図学会誌「姓氏と家系」第29号が、令和5年6月30日発行されました。

    姓氏と家系 令和5年-1 第29号(会誌通巻第117号)
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    <目次>
    ・東京国立博物館所蔵『武田族譜』の考察 ‥ 真野信治
    ・日向米良諸氏(門川・須木・紙屋)の系譜について ‥ 山邉尚幸
    ・陸奥の石城国造と岩城氏一族(上) ‥ 宝賀寿男
    ・湯川氏出自に関する小考
     ―併せて松本氏の出自の考察― ‥ 松永昂大
    ・近江三…

  • 2023.6.20 お知らせ 歴史コラム「記・歴史の窓」 令和5年06月更新

    駒止湿原は、標高1,100mにある高層湿原で、尾瀬ヶ原のように峠を越えなくても、往復3時間もあれば見学できるので、足の弱い方でも行きやすいと思います。詳しくはこちら…

  • 2023.6.20 歴史コラム 駒止湿原(国指定天然記念物) -福島県昭和村・南会津町-

    駒止湿原(こまどしつげん)は、福島県南会津地方にある高層湿原で国の天然記念物に指定されています。高山植物が自生しており、散策用の木道が整備されています。4月下旬のミズバショウに始まり、コバイケイソウ、ワタスゲ、ニッコウキスゲ、ハクサンシャクナゲなど、春から秋にかけて様々な花が咲き、四季折々訪れる人々を魅了します。駐車場からすぐ湿原に入れるので、足に自信がない方でも散策することが出来ます。

    2023.5.21 お知らせ 歴史コラム「記・歴史の窓」 令和5年05月更新 鎌倉駅西口から線路に沿って北上すると英勝寺があります。鎌倉唯一の尼寺、昔は公開されていなかったようです。太田道灌屋敷跡でもあり、竹林と花の静かなお寺です。詳しくはこちら…
  • 2023.5.20 歴史コラム 英勝寺(重要文化財・日本遺産) -神奈川県鎌倉市扇ガ谷-

    英勝寺は、浄土宗の寺院で山号は東光山、水戸徳川家が創建した鎌倉唯一の尼寺です。開基は徳川家康の側室であったお勝の方(後の英勝院)で、寺域は扇谷上杉家の家宰だった太田道灌の館跡といわれています。英勝院は太田道灌四代孫太田康資の娘で、道灌所縁のこの地を徳川家光より賜り、菩提所として建立しました。仏殿、山門、祠堂、唐門(祠堂門)、鐘楼などは、創建当時のまま残されています。横須賀線の線路を跨いだ東側には、道灌の主家扇ガ谷上杉管領屋敷跡の碑があります。

    2023.4.20 お知らせ 歴史コラム「記・歴史の窓」 令和5年04月更新 東海地方の名城掛川城は、木造で再建された日本最初の木造天守です。それほど大きく見えない城ですが、天守に登れば掛川市街地が見渡せ眺めは素晴らしいです。桜の名所ということですが、新緑にも映える天守です。詳しくはこちら…
  • 2023.4.20 歴史コラム 掛川城(静岡県史跡・日本百名城) -静岡県掛川市-

    掛川は東海道の重要拠点であり、室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、朝比奈氏に命じて築城させました。戦国時代には、山内一豊が城主となり、天守閣、大手門を建て、城郭を大規模に修築し、更に城下町の整備、大井川の治水工事なども行いました。一豊が土佐に転封された後、譜代大名が城主となりましたが、城主は度々変わり、最終的に城主となったのが、太田道灌の子孫といわれる太田資宗で、太田氏の治世は幕末まで存続しました。
    一豊の建てた三層四階の天守は慶長9年(1604)の地震で倒壊し、元和…

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