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京極氏遺跡〔国指定史跡〕 -滋賀県米原市上平町-

京極氏遺跡〔国指定史跡〕 -滋賀県米原市上平町-

京極氏遺跡は、滋賀県伊吹山の南山麓にある戦国大名京極氏の城館遺跡です。京極氏は、近江佐々木氏の一族であり、南近江を領した一族の六角氏に対し北近江を領し、始祖氏信以来多くは山東町の柏原館を本拠としていました。一族の内紛を永正2年(1505)に収めた京極高清は、柏原館を廃し伊吹山南山麓の上平寺に新たに城館を築きました。以後、大永3年(1523)国人一揆により落城するまで、北近江の政治・文化の中心として機能してきました。
遺跡は、京極氏館跡、上平寺城跡、家臣団屋敷跡及び山岳寺院を軍事的に取り込んだ弥高寺跡から構成されています。 館跡は、上平寺館または上平館と称され、標高約340mの山麓に位置し、当主の居住した館跡、2箇所の池と巨石を配する庭園跡が存在します。また、弾正屋敷、隠岐屋敷、蔵屋敷、厩などの地名が残り、館跡の隣接地には伊吹神社や京極氏一族の墓所などがあります。
上平寺城跡は、標高約670mの山中に主郭を設け、苅安城、苅安尾城、桐ヶ城(霧ヶ城)とも呼ばれます。遺構は、伊吹山から南に延びる尾根の先端に築かれ、南北約450m、東西約150mの規模を持ち、南方に多くの曲輪が配置されています。
弥高寺跡は、城跡と谷を挟んで西側の尾根上に位置し、標高約715mの本堂跡の南側一帯に僧坊が置かれていました。仁寿年間(851~853)に僧三修が開山し、修験道の拠点となった伊吹山寺跡の一部であり、15世紀末に京極氏を中心として軍事的用途に使用されるようになりました。
京極氏がいなくなった後は、浅井氏の勢力下となり、城跡等の土塁・堀等は、浅井氏や朝倉氏により改修が加えられていますが、遺跡の基本的な形は保存されています。

地図 – 京極氏遺跡
京極氏遺跡 – 米原市
撮影日:2021年04月15日
2021-04-20

京極氏庭園跡
京極氏庭園跡
京極氏墓
京極氏一族の墓
上平寺城跡 土塁
上平寺城跡 土塁
上平寺城本丸跡
上平寺城本丸跡 標高669m
弥高寺跡
弥高寺跡 標高715m 琵琶湖が遠望できる

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