旧新橋停車場は、明治5年(1872)日本最初の鉄道が新橋~横浜間に開業した際、東京の玄関口となった停車場です。現在、かつて駅舎があった位置に、当時の外観を再現した「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」が建てられ、無料で遺構や出土品、鉄道に関する企画展を楽しめる施設となっています。
駅舎はアメリカ人R・P・ブリジェンスによる設計で、当時としてはまだ珍しい西洋建築でした。明治時代は東京のターミナル駅として機能していましたが、大正3年(1914)東京駅開業後は貨物専用の汐留駅として使用されてきま…
比企城館跡群 菅谷館跡(国指定史跡) 埼玉県嵐山町菅谷
菅谷館跡は、埼玉県立嵐山史跡の博物館の裏手にあり、広さは東京ドームの約3倍だそうです。土塁、空堀などが良く残されています。夏草に囲まれるこの時期は、まむしも出るので注意が必要です。
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菅谷館跡は、国指定史跡 比企城館跡群(菅谷館跡・杉山城跡・小倉城跡・松山城跡)の中核を占める遺跡で、鎌倉時代の武士 畠山重忠の居館と伝えられます。埼玉県立嵐山史跡の博物館が併設されており、この地方の中世史を学ぶことが出来ます。
畠山重忠は、長寛2年(1164) 武蔵国男衾郡畠山郷(深谷市)の地に生まれたといわれています。宇治川の合戦、奥州攻めなどで戦功があり、鎌倉の有力御家人で、鎌倉幕府創業に功績がありました。元久2年(1205) 北条氏の策略により二俣川(神奈川県横浜市旭区)で…
新井城址は神奈川県三浦市にある城跡で、相模三浦氏の居城でした。小網代湾と油壺湾に挟まれた岬状の台地で、岬の先端は現在油壷マリンパークとなっており、過去に凄惨な籠城戦があった城跡だったことは想像することもできません。
三浦氏は相模国三浦郡を本拠地とする武士団で、古くから源氏との結びつきが強く、鎌倉幕府では有力御家人でしたが、その勢力が執権北条家を凌ぐほどになったため、宝治元年(1247)の宝治合戦で北条氏と安達景盛らによって滅ぼされました。その後、傍流の三浦盛時(佐原氏)により再興…
永福寺(ようふくじ)は、源頼朝が文治5年(1189)に奥州合戦の後、戦いで亡くなった数万の将兵の鎮魂のために建てたれた寺院で、平泉の毛越寺や中尊寺を参考にしたとされています。頼朝が征夷大将軍に任命された建久3年(1192)二階堂が完成し、この堂の名は現在の地名ともなっています。建久5年(1194)までに、阿弥陀堂、薬師堂が完成し、この三つの堂を中心に、惣門、南門、釣殿、多宝塔、鐘楼、僧坊などの建物があったとされ、「その姿形は極楽の様子をそのまま表したようだ」と形容されています。二階堂の本…
日本家系図学会誌「姓氏と家系」第27号が、令和4年6月15日発行されました。
姓氏と家系 令和4年(1) 第27号(会誌通巻第115号) 目次
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肥後の国人大津山氏について 山邉尚幸
周防・安芸の玉作部とその末裔たち(上)
―瀬戸内水軍の起源に関する一試論― 宝賀寿男
近江三雲氏系図の仮説的再構築(3) 岩城大介
消えゆく甲斐逸見一族 真野信治
膳大伴部の分布・出自とその周辺について
―古代のおける「野菜」との接点を求めて―…
林芙美子記念館は、「放浪記」「浮雲」などの代表作で知られる作家・林芙美子が、晩年に住んでいた家です。
芙美子は山口県下関生まれといわれ、家庭環境は複雑で、九州を転々としながら幼少期を育ち、大正5年(1916)に広島県尾道市に移り、女学校を卒業しました。大正11年(1922)に上京した芙美子は、様々な職業を経験し、男性遍歴も多く、作品を雑誌・出版社に売り込んで回りました。昭和元年(1926)、手塚緑敏と内縁となり、昭和3年(1928)から小説「放浪記」を連載し好評を得ました。昭和5…
松本城は、現存する五重六階の天守の中で日本最古で天守は国宝に指定されています。黒を基調とした引き締まった姿は、背景の北アルプスの山々によく映え、見事な景観を見ることが出来ます。
松本城は、永正年間(1504-1520)信濃守護小笠原氏が林城を築城し、その周りを取り囲むように支城が構えられ、その一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれています。
その後甲斐の武田信玄に小笠原長時が放逐され、信濃支配の拠点としましたが、 天正10年(1582)本能寺の変の混乱に乗じて、…
