金鳳山平林寺(きんぽうざんへいりんじ)は、臨済宗妙心寺派の修行道場で、伽藍の囲む境内林は武蔵野の雑木林の面影を残すものとして、国の天然記念物に指定されています。 岩槻にあった平林寺は、寛文3年(1663)松平信綱の遺命によって、現在の野火止の地に移されました。徳川家康の関東入部に伴い、家臣として上京した大河内秀綱は、平林寺の大檀那でしたが、秀綱の孫で松平家の養子となった松平伊豆守信綱は、三代将軍家光、四代将軍家綱のもとで幕府老中を務めました。その一族は代々大河内松平家廟所で供養され、平林…
日本家系図学会 令和7年度(第17回)総会を開催することとなりました。下記の要領にて開催いたします。会員でなくとも、興味のある方、入会を検討されている方など、日本家系図学会事務局までお申し込みいただければ、どなたでもご参加になれます。
- 記 -
日時 令和7年11月1日(土) 午後3時~5時千曲川の左岸河岸段丘に広がる塩田平は、独鈷山の麓に広がります。その山裾に位置するのが前山寺で、「未完成の完成の塔」といわれる三重塔が美しい姿を見せます。近くには別所温泉の八角三重塔(国宝)、青木村の大法寺三重塔(国宝)と、見事な搭の見られる地域ですが、自然の四季の移ろいとともに、その姿を輝かせてくれます。詳しくはこちら…
前山寺(ぜんざんじ)は、真言宗智山派の古刹で、塩田平を見下ろす独鈷山麓に佇む霊場です。本尊は大日如来、間口十間、奥行八間の木造萱葺の本堂は、元禄11年(1698)~享保12年(1727)の創建と推定されます。弘仁年中(812)空海上人が護摩修行の霊場として開創したと伝えられ、元弘年中(1331)讃岐国善通寺より長秀上人が来止し、正法院を現在の地に移し、前山寺を開山したといわれます。境内に建つ三重塔(国指定重要文化財)は、室町時代の建立とされ、三間三重で、高さ19.5m、屋根は柿葺です。二…
上杉謙信と武田信玄の一騎打ちのあった八幡原、これが事実であるかは不明ですが、激戦の地であったことは間違いありません。謙信と信玄は宿敵でありながらお互いをリスペクトする関係だったことを思えば、戦国の精神性や武士道を忘れてはいけないと思います。詳しくはこちら…
上杉謙信と武田信玄が戦った、川中島第四次合戦で、この八幡原に武田軍の本陣があったと伝えられます。現在はここに八幡社や市立博物館が設けられ、周辺は川中島古戦場史跡公園として整備され、歴史散策や市民の憩いの場となっています。武田信玄が本陣を置いたとされる川中島古戦場・八幡社には、「一騎討ち像」「三太刀七太刀之跡の石碑」「執念の石」「首塚」「逆さ槐」が置かれ、当時をしのぶことができます。
奥羽三関の一つ鼠ヶ関は新潟県、山形県の県境の日本海に面した場所にあります。交通の便利が良い場所ではなく、あつみ温泉に行ったついでにでも訪れるのがよいですが、日本海沿いは笹川流れなど、風光明媚な場所が多く、海沿いのドライブで癒されました。詳しくはこちら… 鼠ヶ関(ねずがせき)は、奥羽三関の一つで、越後国と出羽国の国境に位置し、出羽国の日本海側の玄関口となっていました。奥羽三関とは、五世紀頃に蝦夷の南下を防ぐために設けられた関所で、鼠ヶ関の他、勿来関(福島県いわき市)、白河関(福島県白河市)を指します。 「鼠ヶ関」の文献上の初見は、平安時代中期の歌人・能因法師の「能因歌枕」で、「ねずみが関」とあります。その他、「保元物語」には「念誦の関」、「義経記」には「念珠の関」、「吾妻鏡」には「念種関」と記されています。
