米沢藩は、戦国大名 上杉謙信を祖とする藩です。関ヶ原の戦いの後、会津から大きく減封され米沢に移されたことは有名です。幕末。奥羽越列藩同盟でも新政府軍と戦い、義を重んずる家風でした。詳しくはこちら…
米沢藩主上杉家廟所(うえすぎけびょうしょ)は、米沢藩上杉家歴代の墓所です。杉木立の中に上杉謙信から十二代藩主までの廟屋が立ち並んでおり、荘厳な雰囲気に包まれます。市民からは、墓所を御廟、廟所、御廟所、御霊屋(おたまや)と呼ばれ、敬い親しまれています。慶長6年(1601)上杉家は越後から米沢に移封され、二代景勝が逝去した後、上杉家歴代藩主の墓所と定まりました。その後、景勝を中心に左右交互に廟が建てられ、廟の前方には拝殿が造営されていました。また、各廟の参道も今より前方に延びており、その周囲…
【戸籍広域交付制度】(令和6年3月1日施行)
最寄りの市区町村の窓口で、本籍地以外の市区町村の戸籍・除籍証明書を請求できるようになりました。これまで家系図作成のため、除籍謄本等を遡って請求する時、転籍などがある場合は、複数の役所へ請求を繰り返す必要がありましたが、今後は一つの窓口で請求できるようになりました。
【どこでも】
本籍地が遠くにある方でも、お住まいや勤務先の最寄りの市区町村の窓口で請求できます。
【まとめて】
ほしい戸籍の本籍地が全国各地にあっても…
隠岐国分寺跡は、聖武天皇勅願寺で、後醍醐天皇御遷幸の寺院といわれます。ここは島後島ですが、御在所の黒木御所阯は西ノ島にあります。隠岐の島は今でも行くのはたいへんですが、後醍醐天皇も遠い都を思い我が身の不遇を嘆いのかもしれません。詳しくはこちら
隠岐国分寺跡は、隠岐に流された後醍醐天皇の行在所と伝えられています。現在この地にある隠岐国分寺(東寺真言宗)の後方に礎石があり、これが明治の廃仏毀釈前の本堂跡です。境内からは奈良時代の瓦が見つかっていますが、創建時の様子は分かっていません。毎年4月には重要無形民俗文化財の蓮華会舞がおこなわれます。現国分寺の境内は、昭和9年(1934)に遺跡の包含地として国の史跡に指定された。平成19年(2007)に本堂が火災により焼失しましたが、再建に伴い平成21年度(2009)から実施された発掘調査に…
つつじで有名な館林市のつつじが岡公園は、4月から5月のゴールデンウィークの頃が見ごろでしたが、近年は温暖化の影響で少し時期が早まっているようです。行かれる方は見ごろを確認してから出かけてください。詳しくはこちら
館林市のつつじが岡公園のあたりは、古代より野生のヤマツツジが群生する地で、江戸時代中期の絵図などには既に「躑躅ヶ崎(つつじがさき)」の名で記載されています。自生していたヤマツツジに加え、歴代の館林城主は各地よりツツジを移植し園の拡張や整備を行いました。主なもので、寛永4年(1627) 松平(榊原)忠次(ただつぐ)は、当時領内だった新田郡武蔵島村(現群馬県太田市)から、新田義貞の妻 勾当之内侍(こうとうのないし)のために植えたと伝えられるツツジを数百株を移植しました。また、寛文年間(166…
沖縄屈指の名城で世界遺産に指定されている今帰仁城跡は、本州の城と違い、自然石で積まれた石垣が地形に沿って曲線を描く姿が美しく特徴的です。しかし島津の軍事力に圧倒され落城したのでしょう。詳しくはこちら…
今帰仁城(なきじんじょう)は、琉球が中山に統一される前の「三山鼎立時代」には山北(北山)王の居城でした。中山が三山を統一した後には、琉球王府から派遣された監守という役人の居城でした。しかし1609年薩摩軍による琉球侵攻で、城は炎上したとされています。監守が住まなくなって以後は拝所とし、精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れています。城は、外郭を含めると7つの郭からなり、その面積は首里城とほぼ同規模で、城を囲む石垣は地形を巧みに利用し、曲線を描いた城壁のディテールは美しく、沖縄屈指の名…
軽井沢でも、追分宿まで来れば静かなたたずまいでゆっくり過ごせるため、この辺りまで足を延ばす観光客もいるようです。お蕎麦が美味しいのも魅力です。分去れの碑から中山道は小田井宿へ、北國街道は小諸宿へと向かって行きます。詳しくはこちら
