角館は元和元年(1620) 角館地方を領していた芦名義勝によって造られました。その後は秋田藩主佐竹氏の一族 佐竹北家に受け継がれ、現在でも当時の地割が踏襲され、武家屋敷等多くの建造物が残されて、「みちのくの小京都」とも呼ばれています。武家屋敷が立ち並ぶ通りは、「内町(うちまち)」と呼ばれ、母屋・門・蔵の屋敷構え、枡形など武家町の特性がよく残されています。武家屋敷には桜の木が多く、桜の名所としても知られています。
駒止湿原(こまどしつげん)は、福島県南会津地方にある高層湿原で国の天然記念物に指定されています。高山植物が自生しており、散策用の木道が整備されています。4月下旬のミズバショウに始まり、コバイケイソウ、ワタスゲ、ニッコウキスゲ、ハクサンシャクナゲなど、春から秋にかけて様々な花が咲き、四季折々訪れる人々を魅了します。駐車場からすぐ湿原に入れるので、足に自信がない方でも散策することが出来ます。
英勝寺は、浄土宗の寺院で山号は東光山、水戸徳川家が創建した鎌倉唯一の尼寺です。開基は徳川家康の側室であったお勝の方(後の英勝院)で、寺域は扇谷上杉家の家宰だった太田道灌の館跡といわれています。英勝院は太田道灌四代孫太田康資の娘で、道灌所縁のこの地を徳川家光より賜り、菩提所として建立しました。仏殿、山門、祠堂、唐門(祠堂門)、鐘楼などは、創建当時のまま残されています。横須賀線の線路を跨いだ東側には、道灌の主家扇ガ谷上杉管領屋敷跡の碑があります。
掛川は東海道の重要拠点であり、室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、朝比奈氏に命じて築城させました。戦国時代には、山内一豊が城主となり、天守閣、大手門を建て、城郭を大規模に修築し、更に城下町の整備、大井川の治水工事なども行いました。一豊が土佐に転封された後、譜代大名が城主となりましたが、城主は度々変わり、最終的に城主となったのが、太田道灌の子孫といわれる太田資宗で、太田氏の治世は幕末まで存続しました。 山高神代桜(やまたかじんだいさくら)は、武川町の実相寺境内にあるエドヒガンザクラで、福島県の三春滝桜・ 岐阜県の淡墨桜と並ぶ日本三大桜の一つです。大正時代に国指定天然記念物第1号となり、平成2年には「新日本名木百選」にも選定されています。推定樹齢1,800年とも2,000年とも言われ、樹高10.3m、根元・幹周り11.8mあり、日本で最古・最大級の巨木です。伝説では、ヤマトタケルノミコトが東征の折に植えたと言われ、名前の由来になっています。また、鎌倉時代に日蓮聖人がこの地を訪れた際、桜の衰… 防府天満宮(ほうふてんまんぐう)は、学問の神様として有名な菅原道真を祀る神社で、創建は延喜4年(904)といわれています。天神社は全国に約1万2千社ありますが、最初に創建されたが防府天満宮で、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに日本三天神のひとつに数えられています。 安土城は、織田信長が天正4年(1576)標高199mの安土山に築城させた平山城です。天下統一を目指す信長は、岐阜城よりも京に近く、北陸・東海の要衝にこの城を建てました。総普請奉行は丹羽長秀、当時は琵琶湖の内湖に囲まれ、南方だけが開けている地形でした。我が国で初めて天守を持つ城は天正7年(1579)に完成し、その姿は絢爛豪華で信長の権威を知らしめるものでした。しかし、僅か3年後の天正10年(1582)6月2日、本能寺の変で信長が自刃すると、混乱の中6月15日には城の天守、本丸を焼失しました。… 妻籠宿(つまごじゅく)は、中山道中山道六十九次中四十二番目の宿場です。馬籠峠の北側に位置し、峠の南側の馬籠宿と馬籠宿(岐阜県中津川市)木曽路を代表する観光名所となっています。昭和51年(1976)に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された町並みは、自然や街道とともに、山深い木曽谷の中の集落として宿場の景観が保存されています。木曽における中山道の宿駅創設の事業は、徳川幕府の代官頭大久保長安等、およびその命を受けた木曽代官山村良候によって、慶長6年(1601)の早い時期から進められました。近… 猿島は、東京湾最大の自然島です。東京湾の湾口に位置しており、幕末から第二次世界大戦前にかけては、東京湾を守る要害として、砲台や弾薬庫が築かれました。レンガ造りの建造物の内、明治初期のものはフランス積みが見られますが、この積み方は現在日本では数例しか残されていない貴重なものです。一般人の立ち入りが禁止されていた猿島ですが、第二次世界大戦後一般人に入島が許可された後も、大きく開発されることがなかったため、豊かな自然と旧日本軍の歴史的建造物が良好な状態で残されることになり、国の史跡・日本遺産に指…
一豊の建てた三層四階の天守は慶長9年(1604)の地震で倒壊し、元和…
菅原道真は宇多天皇の信任が厚く右大臣に任じられましたが、時の権力者である左大臣藤原時平の陰謀により大宰府に左遷されました。大宰府へ向かう途中、周防国の国府が置かれたほ防府寄港し、しばしの休息を取られた道真公は「こ…